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「努力は報われない」と、子どもだけには絶対に言わない理由 ひろゆき切り抜きニュース

「努力は報われない」なんて子どもには絶対言わない

「努力すれば報われる」という言葉がありますが、僕は、大人に対しては「努力すれば報われるなんてのはウソだよね」と平気で言いいます。  実際、大人になればさまざまな場面で、努力が報われずに無駄に終わることを知るからです。

 もちろん、努力をすることで目標に近づき、ある程度の成果を上げることもできるでしょう。  

しかし、音楽や数学など特定の分野であれば才能がないと結果を出すことはまず無理ですし、スポーツであれば体格に恵まれていなければ、なかなか結果に結びつかないのが現実。  

サラリーマンでも、いくら外回り営業しても契約をとれないことなんていくらでもあるものです。

やらなければ、才能は発揮できない

とはいえ、それを子どもに対しては言わないほうがいいと思っています。勉強でも音楽でもスポーツでも芸術でも、ある程度の努力をしてみないことには、その子どもに才能があるかどうかがわからないからです。  

ギターを弾けるようになるまでは、それなりに時間がかかりますが、努力をしてギターを弾けるようになると実は音楽的な才能があることがわかる場合もあります。  

語学やプログラミングなども同じで、始めたばかりの頃はなかなか大変だったりするものの、努力をして一定のラインを越えた途端に才能の有無がわかってくるものですよね。

努力しないと成功しないこときちんと教える

食わず嫌いで何にも触れなければ、その事象に関する才能があるかどうかの判断ができません。

「この子にはどういう才能があるのか? どんなことが好きなのか?」を知るためには、いろいろなことをある程度までやらせてみないとわからないわけです。  そのためには、「努力をすることはいいことだ」ということを、きちんと教える必要があります。

 なので、僕が親なら子どもが何かに努力をしたら、たとえ結果が出なくても褒めると思うのですね。

結果が出なくても頑張れば、努力自体を「褒める」

褒めると、努力する子どもも出てくると思うのですが、なかには無駄な努力もあります。

例えば「百害あって一利なし」と言われるうさぎ跳びのトレーニング。  

もしこの間違った努力をしていた場合は正してあげたほうがいいとも思うのですが、子どもが試行錯誤して正しい努力の方法を見つけるのも学びなので、答えは教えません。

「うさぎ跳びは故障の原因になるからほかの方法を考えたら?」という感じで方向修正をするといいと思うのです。

努力することが目的なのは子どもの段階まで


ただ、成果を出したときにのみ褒めるのは、よくない育て方だと考えています。  

成果が出たときだけ褒めると子どもは「成果が出そうにないことはやっても褒められない」と考えて挑戦をしなくなってしまいます。

結果が芳しくなかったとしても、何かに挑戦して努力をしたこと自体を褒めるようにしたほうがいいでしょう。

ただ、先述のとおり、社会人になると結果の出ない努力をいくらしても無意味とみなされます。

あくまでも、努力することが目的なのは子どもの段階まで。その違いをわきまえていないと、大人になってから面倒なことになります。  

こんな感じで、「努力」を教える対象の理解度によって、その教え方が変わるのではないかと思っているのです。

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