
僕にとって親の重要性は低かった
子供の時の環境や思い出を教えてください。
放任主義だったというのを聞きました。
ひろゆき:僕は自分が大事だと思われていないなあ、と思うくらい放任主義でした。
でも、だからって親のことが嫌いだったわけじゃなくて、そもそも僕も親が、そんなに重要ではなかったというのがあったりします。
なかなかの爆弾発言ですね!
住む場所を提供してくれるという意味では重要なんですが、いつか親元は出ていくものですし、出て行った後も家族仲良く団欒とかに憧れたり、懐がったりしないだろうなと思っていましたね。
小学校のときに友達みんなと仲が良くても、卒業して別の学校に行ったらほぼ連絡取らないじゃないですか。
それと同じだと思っていたんです。あくまでも集合体として存在していて、生活習慣が合わなくなれば、接点もなくなる。家族も小学校の友達と同じなんだろうなって。

親と離れることが不幸とは限らない
普通の子どもはそんなこと考えつきませんよ。
何をもって普通かによるんですけど。愛情豊かに育ちましたって人は「普通」なんでしょうけど、世の中にはそうじゃない人もいます。
僕の子ども時代、周りには離婚家庭とかシングルマザーが多かったんです。
だから、「家族がお別れします」っていうのは、結構当たり前。家庭が永遠にあって、子どもを守るのが当然という価値観がそこまで強くない人が多かった気がします。
でも、だからってそうした家庭で育った人たちが今、幸せじゃないかといえば、そんなことはありませんから。僕は小さいころからそういうのを見てきたので、その影響を受けたのかもしれませんね。
子どもに大切に思っていると伝える
それは悲しい環境ですよね‥
共働きが増えたために、時間に余裕がない家庭が増えましたよね。
男女の揉め事の定番で「わたしと仕事どっちが大事?」があると思うんですが、それは子どもにも当てはまる。
仕事に行ってほしくないのに、行ってしまう親を見て「仕事のほうが大事なんだね」と。それがだんだん積み重なって「自分って必要なのかな?」「お荷物なんじゃないかな?」と思われてしまったとき、「そんなことないよ」と言える材料が乏しい。
親に時間的余裕がないと、子どもは自分を重要視していないと思ってしまう可能性が高い。
でも、先ほど話したように、だから子どもが幸せなれないわけじゃない。それを悲しいと思うのは親なわけで、嫌なら仕事に行かないで子どもといたほうがいいと思いますよ。