
「どうしたら幸せになれる?」の矛盾
「どうしたら幸せになれますか?」という質問がよく僕のところに届きます。こういう質問をする人は、根本的な考え方が間違っています。そのことについて、説明しましょう。
幸せの基準は、自分で決めることができます。なぜなら、世の中には無数の選択肢があるからです。たとえば、お昼ご飯を食べるとしましょう。
冷蔵庫にあるものから自分で作るのか、近くの飲食店で食べるのか、コンビニで買ってきたものを食べるのか。無数の選択肢があります。
このとき、どの選択肢を選べば幸せになるかは、その人によります。冷蔵庫の豚肉をどうしても使い切りたいのか、
近くのお店のカレーがどうしても食べたいのか、コンビニの新発売のスイーツを絶対に食べてみたいのか。
それらは、どれも正解です。そして、他の誰かが決めることではありません。自分がどうしても食べたいカレーを食べているのに、
「自炊すべきだ」と言われる筋合いなどないのです。つまり、自分の幸せの基準は、自分で決めるしかありません。
幸せの基準は「他人」?
世の中、「他人が欲しがるもの」を手に入れることで満足する人がいます。車や時計、服、アクセサリーなど、他人が欲しがる(と思い込んでいる)ものを買うことで
幸せを感じるような人です。勘違いした成功者や芸能人に多いタイプですが、一般の人でも大なり小なり同じ部分があるでしょう。
そういう幸せは、価値の基準が「他人」にあります。他人がどう思うかに自分がコントロールされているのです。
これは、カマキリが寄生虫のハリガネムシに意思をコントロールされているようなものです。自分で決めているようで、本当は別の何者かに支配されているのです。
親子の「夢」は美しいけれど……
あるいは、親が果たせなかった夢を追いかけるような子どもも同じです。スポーツ選手に多いのですが、親が諦めた夢を、子どもへと受け継いでもらってサポートするような関係です。
これは、傍目から見ると、キレイなことに見えますが、危険をはらんでいます。
一歩間違えると、子どもは親に大きく反発して、親子関係が最悪の状態になることもあります。もしくは、子どもが親の夢を果たせたとしても、
その後、自分の心の中でポッカリと穴が空いてしまいます。いわゆる「燃え尽き症候群」というやつです。
元々の動機が、自分ではなく「他人」にあるのですから、それが失われると、一気に何をしていいかがわからなくなるのです。
同じようなことは、他の場面でもよく見かけます。
「合コンでモテるために有名企業に入ったのに……」
「年収1000万円になれたら、今度は年収2000万円の人に対して劣等感がある……」
など、幸せの基準が「他人」にある人たちは、いつまで経っても満たされないままでいるのです。
だから、自分にとって必要なものを手に入れる人になりましょう。貧乏でも賢い子がいるし、小さい企業でも優秀な人はいる。
どんな環境でも、自分にとって大事なものが何かさえ見失わないようにすれば、いつでもどこでも幸せに暮らすことができます。
そして、自分が幸せに生きているのに「もっとこうしたほうがいいよ」と他人からアドバイスされるようなことは聞かなくていいのです。