Contents
SNSは真剣にやるな
SNSに関する悩みはよく聞かれます。やったほうがいいのか、やらないほうがいいのか。
個人的には、人の意見を気にしすぎる人はやらないほうが幸せだと思っています。ちゃんと一定の距離感を持って使いこなせる人はいいのですが、
そうでない人が多い印象です。 特に、情報収集の場にしてしまっているのはあまりよくないですよね。ワクチンを打つべきかどうか、
ツイッターの意見を元に判断してしまっているようなものです。世の中の空気をつかむものとしてなら、SNSは便利なのですが、それを真に受けるのは違うと思います。
SNSでさえ他人への配慮をして、誰かの気分を害さないように注意を払わなければ炎上します。
人はみんな自分が正義となったとき相手を叩きたいものです。例えそれが自分のの利益に全くならないとしても。
こういう人は即刻SNSはやめるべきでしょう。SNSで友人が知人が増えれば自分のステータスも増したように感じます。
自分の意見が影響力があると勘違いしてしまいます。
SNSのない世界のほうが幸せを手に入れるのは簡単だったかもしれません。
簡単に比較ができてしまう現代では常に自分より上がいるからです。


● 恥ずかしい特徴・ベスト1
1つ、恥ずかしい特徴をあげるとすると、「他人の意見を見て発信している」ということです。
「食べログ4.5の店に行ってきました。ミシュランガイドにも載っています」
「○○賞を獲った映画を見てきました。とても面白かったです」
「アマゾンレビューで星5つのソファを買いました。使い心地いいです」など……。
これらの投稿は、他人の意見をそのまま鵜呑みにして生きているようなものです。自分の評価の余地がまったくありません。
自分の感覚で選んだり、その商品やサービスを自分の軸で判断していないのは、ちょっと人生損しているなと思ってしまいます。
第三者や権威のある人が褒めているものでないと楽しむことができないのは、心が貧しくなっているからです。麻痺しているとも言えます。
そういう感覚におちいってしまうと、つねに「誰かに動かされる人生」を送ることになります。満たされることがなく、
今を生きている感覚がなくなるんですね。そうなると、いくらお金があったり、友達が多くても、いつまでも充足感が得られないでしょう。
「日常が空っぽになっているかも?」と思う人は、ちょっとSNSを見返してみてください。自分の感覚で、他人の意見を気にせず、
「これは美味しい」「これは面白い」と投稿できているでしょうか。 誰かが絶賛するのを待ってから自分も褒めるようであれば、
他人の人生を生きているようなものです。少し振り返ってみましょう。
あなたは人にどう見られかで自分の行動を決定していませんか?しかし、もし困ったときその人はあなたを助けてくれるでしょうか?
何をして嫌われていれば嫌味を言われることはあります、しかも「あなたのためを思って」という言い訳付きで。
相手は良かれと思っているのでしょうが、自分は正しいというのが見え透いています。
幸せは自分で感じるものです、誰かがくれるものでは(大切な人は別ですよ)ありません。
大丈夫です、自分が思っているほど周囲はあなたのこときにしてはいません。
周囲からみれば何が幸せなのだろうと思われる人でも実際には自分に満足し幸せな人かもしれません。
あなたが憧れる有名人が自己肯定感が得られず本人は不幸だと思っているかもしれません。
ひろゆき切り抜きニュース